私の場合、病気(?)のおかげで何も食べることが出来なくなったことから、何か変えるしかなかった。その手段が菜食だった訳です。
その頃は自分を支えるのが精一杯で、周りの人たちに助けてもらって少しずつ症状も楽になっていきました。今まで食べていた肉をやめただけで(魚はもちろん)精神的にも軽くなって、物事の捕らえ方が変わってきました。前にも書いた様に精神的にスペースが出来てそれまで仕事一色だった自分が、少しずつ色んなものが見えてくる。
ずいぶん時間がかかったが、意味の無いこと・偶然なんてない。例えば日本で生まれてココに今居ることを選んでいるのも自分がそこから学びたいからなんだ、ベジタリアンでいることもこれを経験してなりたい自分に向かって進みたいからなんだ。(割と楽しくやってるし。)別に千年も万年も長生きしたい訳じゃないし、寿命があるから体にイイ食事(生活)をしている人が不摂生な生活している人より長生きするとか元気とは限らないワケだ。
私はただ生きてる限りはより良く生きたい、やりたいことは沢山あるから、社会や周りに不満があれば溜めずに吐き出してそして受けとめる。周りで起きてることは人ごとではなく、何かを気付くため、自分が見なければいけないこと、それは自分に問題があるからで人のせいではナイ。今自分の周りの動きの意味、自分との関わりの意味がわかって来る気がします。自分の間違いも素直に気付ける認められる。自分の動く方向もその手段・方法も決められるワケです。
ただしその流れを意識しない限り変化も進歩もないでしょう。野菜好きや健康オタクが私の目標ではないし、まだまだ自分はその途中段階ですが、自分の感じるプレッシャーやピンチに自分はどう感じてどう動くかがちょっと楽しみだったりして。
私は病気になったことで、食養を取り入れた菜食と共に精神修養の楽しみが出来たようだ。
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